こんにちは。
競技会で勝った時にいただけるメダルがうれしい山田圭一郎です。
先日、プロA級戦で3位入賞した時のメダルを飾りました。
我が家では石膏像に飾っていますが、重すぎてバランスが不安になってきました。
嬉しい悲鳴です。
さて、社交ダンスがメディアに取り上げられたときはすごい反響だったと、当時を知る多くの先生がおっしゃっています。
その最たるものが「ウリナリ社交ダンス部」でしょう。
ウッチャンナンチャンが社交ダンスの広報担当だったような印象です。
彼らがいなければ、今の社交ダンスはこんなに発展していなかったかもしれません。
そして、彼らがいなければ、今の社交ダンスはこんなに身近ではなかったかもしれませんね。
かく言う僕も、ウリナリ社交ダンス部の活躍をみて、社交ダンスって面白そう!と思いました。
当時僕は中学三年生で、高校受験の真っ只中だったと思います。
受験勉強の合間にテレビをつけると、この番組がやっていて楽しそうに社交ダンスを踊っていました。
「楽しそうだな!」という気持ちと、「人が大変な時に!」という妬みがありました。
当時の競技会の様子です。
衣装はとても奇抜ですが、これぞダンスを楽しむスタイル!という感じ。
ダンスはもともとこうでなければいけませんね。
社交ダンス屋さんに生まれた僕ですが、当時、社交ダンスはそんなに魅力的ではありませんでした。
親がやっているから仕方なく、、、という印象です。
そんな僕が、今では社交ダンスの先生をしているのが、なんとも皮肉です。
蛙の子は蛙ということでしょう。
僕は、社交ダンスが嫌いでした。
ですが、社交ダンスが好きだという子供たちが、ジュニアクラスには多く通っています。
好きこそ物の上手なれです。
嫌いだった僕がここまで来れたのです。
好きな彼らは、もっと高みを目指せるでしょう。
彼らの将来に期待です。
という訳で、今日は小さい話題でした。
それではまた。
私は20代でダンスを始めましたが、女性と組むのが恥ずかしくて即、挫折しました~汗
月日は流れて結婚して、映画『シャルウイダンス』のテレビ放映を見て、再挑戦!
公民館の初心者教室は年配者ばかり。 安心して出来ました。
3ヶ月くらい経過して雅吉先生が指導している公民館を見学に行ったら近所のおばさんが責任者で『直ぐに入れ!』と、半ば強制入会。
皆さんスイスイ踊れる中に若葉マークがただ一人〰 完全に落ちこぼれ状態…
スライドで組むと露骨に『お前かよ~』の顔をする女性も居ました。
なので、最初の数ヶ月間は嫌で嫌で仕方無かったです。
さんはこっちへおいで。と、おばさんが別メニューで特訓してくれました。
そのおかげで、NCDの試合では玉村の本教室に負けない好成績をあげられる様になりました。
でも、誉められた事は一度も有りません。『あんな踊り者じゃダメ!』ばかり。
雅吉先生にも同様。 そのおばさんもボケが強くなって今は養護施設に居ます。
しばらく顔を見てないので、行きたいなぁ。良い成績を上げたら報告に!頑張るぞ!
皆さん、紆余曲折あって今のダンスがあるのですね。
僕も師匠や彩子先生に怒られてばかりです。
出来ているつもりになっていてはダメなんですね。
お互いに精進して恩師に報告できるように頑張りましょう。